もと薬師寺といい、正平元年(1346年)九鬼氏の祖九鬼隆信の創建と伝え、その後、九鬼村の川上氏一族がこの寺の世話をしていたが、寛永10年(1633年)ごろ僧真岩元達が当地へ巡錫(僧が、各地をめぐり歩いて教えを広めること)のみぎり、当寺にとどまり住職となった。
寛永17年11月元達の留守中火を失し、その弟子林恕(九鬼氏の出)がようやく本尊薬師如来を救い出し、前庭の池中に投じて災厄をまぬがれたが、古記録はすべて焼失した。
当時、九木浦(現九鬼町)には薬師寺のほかに延命庵・林泉庵があったが、寛永21年今の地に薬師寺が再建されたので、他の2か寺をあわせ、眞巌寺と名づけた。
本尊薬師如来は薬師寺草創以来の像と伝え、その膝裏には嘉暦4年(1329年)の墨書銘があり、鎌倉末期の優作であることが知られる。
当地方は数度の水難をうけて、文化財の残るものは少なく、本像はまたと得がたいものとして、昭和31年県指定されている。
平成25年8月より小倉康司住職が九鬼真巌寺に就任してくださいました。
【プロフィール】
名前:小倉康司住職
本籍:度会郡大紀町阿曽
生年月日:昭和24年11月1日生
僧暦大本山永平寺と覚王山日泰寺にて修行
平成10年より龍祥寺住職として現在に至っておられます。
【真巌寺からのお知らせ】
九鬼真巌寺の御詠歌が出来ました。